真夜中の逃亡 2

(3300字)

裏口から、ぼくは逃亡した。フェンスをこえて、学校とは反対の方向へずんずん歩くと、たちまちぼくは知らない雑草とかの世界の一員になっていた。マーくんとの約束はやぶった。スーパーマーケットでうろうろした。エアコンが涼しかった。ポケットにはジュース一本分のお金しか入っていなかった。いつもはマーくんが何でもおごってくれるから、何でも買えたのに。お金持ちになりたいと思った。マーくんよりお金持ちになって清ちゃんをものにしたかった。ジュースを飲みながら、ひとりで歩いているととても寂しくなった。すれ違うガキたちの洋服がいつもと違って見えた。よく見るとどれも知らない顔ばかりだった。ぼくがにらみつけてやると、五人くらいのガキたちがぼくを取り囲んで、「北小のやつやなお前」と一番背の高いガキが口火を切った。ガキたちが西小のやつらだということはさっきから察しがついていた。歩き方といい、しゃべり方といいくそ生意気だ。「マサハルってやつ知ってるよな」と一番背の高いガキが言った。そいつに頭一個ぼくは負けていた。「マサハルに会ったら言っとけよ、今度生意気言ったらボコボコにしてやるってな」背の高いやつがそう言うと、背の高いやつとその子分たちはぼくの肩に体をわざとぶつけてその場を離れていった。振り返ると背の高いやつはマーくんと一緒の紺色の鞄をぶら下げていた。そして足でガードレールをけっとばした。ひと続きの白いガードレールに触れると、振動が指先に伝わった。白い粉のついた指はズボンで拭いた。ぼくは迷子になっていたけどそこまで寂しくはなかった。マーくんの母がバス停の所でぼくを呼んでいた。

外車の助手席に乗るのははじめてだった。いつもぼくとマーくんは後部座席に座るから。センターラインのすぐ横をぼくは走っていて、自分で運転しているような気分だった。マーくんの母はサングラスをかけていて、エアコンは寒くないかと聞いてくれて、ラジオがうるさくないかとか、子供のぼくにも大人みたいに気をつかってくれた。ぼくは全部大丈夫だと言った。マーくんは間違っていると思った。マーくんの母がうちの母だったら良いのになと思った。でもマーくんの考えている逃亡のことは内緒にしておいた。母はマーくんのことを隅々まで知りたがった。ぼくはよく分からなかった。とうとうしびれを切らして、どうしてマーくんのことそんなに知らないの?と質問した。ぼくはじっと母の顔を見たけど、母は笑っているだけだった。別に不愉快ではなかった。マーくんの母にはうちの母のような切羽詰まった感じがなくて、優雅に見えたから、ぼくも上品になっていたのだと思う。ぼくはマーくんの言っていた言葉を思い出して、「おばさんには他にどんな顔があるの?」と質問した。「馬鹿ね」と母は言った。ぼくはまた大人になった気分だった。でも窓に写るぼくはガキのままだった。母はマサハルをよろしくと言った。母はぼくをマーくんの家の前に下ろすと、自分は家に入らず、サングラスをかけて颯爽と田舎道を走っていった。

マーくんは秘密をいくつ持っているのだろう。マーくんは清ちゃんと会っていたこともぼくには言わなかった。マーくんに対する不信感はつのるばかりだった。マーくんはいつもと変わらないように見える。でもぼくはいつもと違っていた。マーくんはきっと気づいていないと思う。外からでは見えない所が変わっていたから。ぼくは西小のやつらに会ったことも言わなかったし、母に送ってもらったことも言わなかった。もう何でも話せる仲じゃなかった。ぼくらはマーくんの部屋で「逃亡持ち物リスト」を作った。

スニッカーズ 二本
ジュース 四缶
シュガースティック 一袋
雑誌(サッカーとF1) 二冊
本 一冊
地図 一枚
下着 三セット大通り(これはマーくんの言葉遊び。サンセット大通りというのが、ロサンゼルスにあるそうだ)
帽子 ふたつ
かぜ薬 一瓶
シャツ 五枚
フランスパン 二本
ジャム 一瓶
テレビガイド 一冊
サングラス ふたつ
トランプ 一組
懐中電灯 ふたつ
卵 一パック

プールサイドでまた、服部が噂話をしていた。またマーくんのことで、マーくんと清ちゃんが付き合っていると言う。複雑な気分だった。ここ七日間、ぼくはふたりをさけて他のガキたちとつるんでバスケットとか野球とかサッカーとか女子をからかったりとかしていたけど、やっぱり本当の友達はふたりだけだと感じていたからだと思う。今日もひとりでプールに来て、水上バレーでガキたちと戦っていた。大変な盛り上がりようで、プールサイドにはマーくんと清ちゃんの姿もあったけど、仲間には加わらなかった。休憩時間にプールサイドでみんなして日向ぼっこをしていると、ふたりは帰っていった。服部は、ほらなって感じにぼくらのご機嫌をうかがった。ぼくとふたりの間にはもうとても大きな溝が出来てしまっているのをぼくは感じずにはいられなかった。真ん中に線があって、こっち側と向こう側。ぼくはいたたまれなくなって、こっち側からも出ていった。「またなー」とみんなが声をかけて、ぼくも「またなー」と手をふってプールを出ていった。コーヒーハウスからがやがやと騒々しい物音が聞こえて、そっちを見ると、星野と西小のやつらが窓に顔をひっつけてぼくの方を見て笑っていた。手招きするわけでもなく、げらげら笑って、騒いでいた。ぼくのことは、星野以外は分かっていないようだった。背の高いやつの顔は真っ赤で、目は充血していて、酒を飲んだなと思った。北小の校区内にやつらがいることが気に入らなかった。

「やつらバカでいやになっちゃう」と星野はコーヒーハウスから出て来ると言った。「やつらとエッチしたの?」ぼくは窓の中のやつらの方を見て聞いた。ぼくの言葉には棘があった。知ってるんだぞ、ぼくは、お前がマーくんとキスしていたのも見たし、その後マーくんの家に行くのも見たんだぞ、高校生と関係を持っているのだって知ってるんだぞって目で星野を見た。ぼくはちょっと株を上げたようだった。別に大して気にもしなかった。ぼくの目はするどく、星野につき刺さっていたと思う。星野はぼくの大人っぽい態度に満足しているみたいだった。「だれとエッチするかはわたしの勝手でしょ」というようなことを星野は言った。それから一通り愚痴をこぼすと、ぼくに「いつか絶対にエッチをすること」を約束させた。「毛が生えたら教えるのよ」とかと言って。それでぼくに清ちゃんへの無言の口止めをしたつもりだろう。異論はない。星野は腰をふりふりガキどもの所に戻って行った。星野はやつらにアイドルのように迎えられた。くそったれ、とぼくは思った。

電話でのマーくんのテンションの高さには興ざめしてしまった。それは装った明るさではなく、本物の明るさだった。七日間の事実上の音信不通で、プールの一件で完全に立場を示したのに、この明るさ。言葉をもって非難することはしなかった。どうしたの、今日さ、清も俺もお前とどっか行こうと思ってたのに、とか何とか言っていた。ぼくは電話の向こうに清ちゃんも一緒にいるような気がした。嫉妬心は不思議になかった。本物の軽蔑が頭をもたげていた。それはマーくんに対してだけではなく、清ちゃんに対しても同じ気持ちが生まれていた。ぼくは相づちを適当にうって、合理的に電話をさっさと切れるように仕向けたけど、今日のマーくんの無神経さは異常なほどに感じられた。後半はちょっとはぼくの心境の変化を読み取ったような所もあった。でも後ろで清ちゃんに励まされて頑張っている感じだった。マーくんはぼくのある言葉を待っていたのだと思う。でもぼくは絶対にその言葉を口にするものかと意地になっていた。つまり、マーくんと清ちゃんって付き合ってるの?と。残念でした、ぼくは絶対にマーくんの気持ちを楽にはさせないぞ。ぼくはぼくの方から電話を切るのはこの問題から尻尾を巻いて逃げることを意味するのだということを、つまりふたりの仲を認めるということを意味するのだということを知っていた。ぼくは勝った。