罪人の墓

ブログは小説の墓場

真夜中の逃亡 1

(3200字)

マーくんの言うことにはいつも驚かされる。斬新で、とげとげしくて、ナンセンス。マーくんはたまに詩を書く。ぼくは好きだけど、先生も、両親も、友達も好きじゃないみたい。マーくんは死についての詩を書くことに志を燃やしている。ぼくがほめると、たいしたことないよと言う。でも本当にいいと思う。そうするとにっこり笑って首を傾ける。マーくんは金の時計をしている。ぼくには信じられないことだけど、マーくんの両親は優しいし、きれいなのに、マーくんは父も母も嫌いだと言っている。人間にはいくつもの顔があるんだ、とマーくんは教えてくれた。マーくんの家の、マーくんの二階の部屋で、マーくんは逃亡しようと言った。お金はいっぱいあるそう。俺についてこい、とマーくんは言った。

清ちゃんはマーくんのことが好きだと思う。マーくんも清ちゃんのことが好きみたいに見える。両想いなのに、でもふたりはそんなことおくびにも出さないみたいで、はためにはぼくと清ちゃんほど仲良く見えないし、ぼくとマーくんほど仲良くないように見えるけど、ふたりは本当は結婚の約束をしていると思う。三人でプールに行く時も、ぼくが真ん中に立って、ふたりは絶対にくっつかない。だからぼくはすぐにピンときた。悪ガキで、清ちゃんにぞっこんで、マーくんとはしょっちゅう衝突してばかりいる拓也は、ぼくほど敏感にふたりの関係をあやしんではいない。清ちゃんはおとなしい女子で、ぼくといると落ち着くみたいで、マーくんといると楽しいみたいで、拓也はちょっと怖いみたい。清ちゃんは、母子家庭で、お父さんがいないからそういう傾向があると、マーくんは分析している。マーくんは最近むずかしい言葉をよく使う。夏期講習に週四日も通っている。逃亡の話が出た時、清ちゃんも誘おうよと言ったのはぼくだった。

星野とマーくんがエッチをしたというのが、もっぱらプールサイドでのガキたちの話題だった。星野は学年一の有名女子で、はれんちで、唇にうっすらと口紅をひいていて、体育の先生の誘惑に失敗した、早熟な女という噂が、上級生の間にもあったほどの女だった。少なくとも拓也を含めた五人とはもうすませているという噂もある。高校生の間でまわされていると言う人もいる。星野はプールに来ない。高校生とドライブしているのを見た。星野はぼくをガキだと思っていて、この前校門で会った時なんかはチョコバーをくれた。それから「わたしストリッパーになるのよ」とおっきな腰をふってダンスを見せてくれた。マーくんとの噂はもう流れている頃で、聞こうと思ったけど、星野の様子がいつもと違うようで、しゃべり方もすごくエッチな感じで、まともな会話は出来そうになかった。どうやら酔っぱらっているな、とぼくは思った。清ちゃんは全然気にしていないみたいだった。

世の中には不思議なことが多くて、星野と清ちゃんは大親友。拓也は「絶対に俺たちのことは清子には言うなよ」と星野に釘を刺している。星野はそんな時、鼻で笑って、玉の小さいやつ、と馬鹿にするのだった。ぼくのことは、毛のないおちびちゃん、と馬鹿にする。見たこともないくせに。星野とマーくんはお互いに一目置いている仲だったから、エッチしていてもおかしくはないと思った。噂の発祥源は、どうやらひょろひょろ服部のようで、彼に言わせれば、真夜中の公園でふたりは良いムードだった、ということになる。ひょろひょろ服部の取り巻きたちは、事の詳細を知りたがっていっぱい質問をぶつけた。だけどひょろひょろ服部の言うことはどれも普通じゃなかった。どうやら作り話らしいとみんな思った。窮地に立たされた服部は、真実を述べた。真夜中の公園でふたりを見たのが本当だけど、その後のことが全部推測。服部は「推測」と言って、「嘘」とは言わなかった。服部はプライバシーを尊重したなんて言ったけど、その嘘っぱちは服部の小心を証明するだけだった。俺だったら最後までばっちし見てやったな、と取り巻きのだれもが口をそろえた。だれも服部に同調しなかった。本当はだれも最初から服部の言うことなんて信用していなかった。服部はそういうやつ。

それがぼくもある日、真夜中の公園で星野とマーくんが一緒にいるのを見てしまった。なぜ真夜中の公園にぼくがいたのかというと、妹がサンダルを片方だけなくしたみたいで、妹は泣き出すし、母はぼくにお願いしたから。よくあることだった。妹はまだ五歳にもなっていないし、母はいつもパートで忙しい。部屋は小さくて息苦しいから、ぼくはいつも脱出の機会をねらっている。しかも父の機嫌もわるかった。だからぼくは喜んでサンダル捜しに出かけた。妹は三輪車でも、着せかえ人形でも、洋服でもなんでもどこかに忘れるたちで、ぼくも真夜中の捜索にはなれっこだった。ピンクのサンダルは公園の真ん中にあったけど、ふたりがキスしている姿を発見して、ぼくは植木の影にひそんだ。星野のつっぱった声と、マーくんの低い声がもぞもぞと聞こえてきた。だけど内容までは分からなかった。すべり台の下でキスした後、ふたりは並んで公園を出ていった。マーくんの家に向かっているみたいだった。連絡があって、次の日にマーくんと会うと、逃亡の話が出た。清ちゃんの名前を出したのは、皮肉だったのだけど、マーくんは気づかなかった。男どうしじゃなきゃ駄目だ、女は足手まといになるぞ、と言った。

公営住宅団地の中庭で、複雑な気分だった。さっきから清ちゃんはぼくの雰囲気が伝染したのか黙り込んでいる。ちょっと嫌な空気だけど、ふたりとも立ち上がり気はないみたいだった。緑の萌えた中庭は、とてもまぶしい。小さな子たちが、ぼくらをからかっては逃げていく。その時だけふたりとも笑った。ぼくはマーくんが好きだけど、嫌いになりつつあった。星野は尊敬しているけど、軽蔑しつつあった。清ちゃんのことはどんどん好きになっていくのか分かった。手を握りたかった。耳元で好きだよって告白したくなった。横顔を見たかったけど、見たら清ちゃんもこっちを見て、目が合いそうだったから、住宅の間の空を見ていた。太陽がやがて目の中に入ってきて、目をそらした。目の中が真っ白になって何も見えなくなった時に、清ちゃんが「もう帰らなくちゃ」と言った。ぼくらは立ち上がって、それぞれの棟に戻った。階段の所で、妹は砂場から持ってきた砂で山をつくっていた。ぼくらの部屋は棟の隅っこで、七階にある。

冷やし中華を食べてテレビを見て一時に部屋を出た。階段の所から中庭をのぞくとマーくんと清ちゃんが一緒にいた。声をかけようと思ったけど、どういうわけかぼくは黙ってふたりを見ていた。マーくんとお昼から逃亡の計画をねろうと話し合う予定だった。マーくんは塾の鞄を持っていた。紺色のとてもかっこ悪い鞄だ。言ったことはないけど、いつもそう思っていた。清ちゃんは手を前に組んでいて、スカートのしわを気にしている仕草をした。マーくんは急に清ちゃんの肩をたたき、マーくんと清ちゃんの親密な笑い声が階段まで響いた。やがてマーくんはマウンテンバイクにまたがって中庭を走り去った。ぼくは嫉妬した。清ちゃんは見えなくなってもずっと遠くまでマーくんの姿を見ていた。マーくんが帰ろうとしなかったらきっと、二時までも三時までもしゃべっていたと思う。ぼくはお昼だからって追い出されたのに。清ちゃんがいなくなるまでぼくは階段の影にしゃがんでいた。とてもみじめな気分だった。中庭をのぞき見しながら早く清ちゃんがどこかへ行ってしまえばいいと思った。妹の砂山をいじくりながら、公営住宅団地の中ならどこへでも自由に歩き回れたのに、初めて、どこにも行けなくなってしまった自分を感じた。清ちゃんが近所の下級生とバトミントンをしている声が聞こえた。何度も、出ていこうかと勇気を出してはためらった。