デブ奇譚 1

(4800字)

その事件が迷宮入りするとともに捜査官の池永も迷宮入りした。同僚は池永をからかう。
「おっ、名球会入りした池永君! いったいどんな記録を打ち立てたんだ?」
迷宮入りした池永をかばうのは女性捜査官の進藤直美だけだった。彼女は事件はもかくとして池永を迷宮から出さなくてはと必死だった。それは辞書を参照する限りとても困難なことのように思われた。迷宮とは
「中に入ると出口が分からなくなるように造った、複雑な建造物を指す」
からだ。しかしベットでの池永は迷宮入りしているとは思えないくらいのすごい精力を発揮するのだった。そのせいで直美の声は日に日に野太くなっていった。直美の彼氏の町田は彼女の性器が自分の性器にフィットしないほどに拡がりはじめていることに気付いていた。別れるのは時間の問題だった。セックスの回数は減り禁句がふたりの関係をギクシャクさせていった。もっともギクシャクしているのは町田の方で彼女は素っ気ないものだった。
「最近のあんたおかしいよ」
と高級レストランで食事をしている時に直美が言うと
「そうでもないよ」
と彼氏は妙に弱気な声を出した。
「もしかして」
と直美は手を止め町田の目をのぞき込むと「もしかしてなの?」
と聞いた。町田は彼女が何を言いたいのか分からなかったが
「ああ」
と答えた。すると彼女は町田の昔からの夢が叶ったかのように
「良かったじゃない! 本当に!」
と言い
「たまには連絡してね」
と謎の言葉を残し、ナイフでニシンを切りフォークで口に運ぶと
「おいしい」
と笑みを見せた。それが町田が直美に会った最後の日で、町田はその日以来行方不明である。町田がどこに行くかは直美しか知らず町田には知る由もなかった。しかしどこにも行かないわけにもいかず町田は家を出たのだったが、行きたい場所などどこにもなかった。

迷宮入りしたその事件は8年前の5月9日に起きた。つまり迷(May)宮(9)の日である。あたかも事件はそうなることをはじめから決められていたかのようだ。池永は粘り強いことで有名な捜査官で「粘着テープ」と呼ばれていた。現場は三階建て木造アパートの一室で、ベランダには洗濯物が干しっぱなしだった。車から下りるなり二年目捜査官の矢吹が
「あそこが被害者の部屋です」
と池永に言い池永はベランダを一瞥すると
「デブ女か」
と言った。憂さ晴らしに拳銃をぶっ放すように口をぶっ放したわけだ。その頃進藤直美は16才の女子高生で翌年には17才になる予定だった。つまり彼女は2月29日生まれではなかった! 彼女は父親の仕事の関係上引っ越しを繰り返していた。それと関係はないとは思うのだが日記とは無縁だった彼女は、しかし8年前の5月9日はハッキリと覚えていた。それは彼女の「初体験」の日だった。適度にパンクっぽい人がタイプでゴールデンウイークに逆ナンして知り合った「ディコンストラクションズ」というアマチュアバンドのギタリストTAKA(当時19才)と真昼のラブホテルで「休憩」したのだった。ちなみに当時「ディコンストラクションズ」のボーカリストだった安田ファッキン和也はその頃高校時代の後輩・百合子さんとエジプトにともに初めての海外旅行に行きそこでスフィンクスの絵葉書に
「お前に似てないか?」
と書いてベーシストの佐久間に送った。佐久間の彼女(当時)はそれを見て
「似てる!」
と言ったらいきなり殴られたそうだ。「ディコンストラクションズ」はメンバーそれぞれの音楽性の違いからその後解散しTAKAはエレキギターを捨て安田ファッキン和也はミドルネームを捨て新たなバンド「トーテンポール」を結成し佐久間は彼女に捨てられ「トーテンポール」のメンバーからも外された。

殺された「デブ女」は本名を加藤朋美といった。当時29才だった彼女は生きていれば37才で、オマンコがちょうど○○○○なっている年頃だからシックス・ナインはちょっと勘弁してほしい気がする。彼女は明るい性格でいつも笑顔の人気者だった。ベットに寝そべって少女漫画を読み股間を布団でこするのが趣味だったが、
デブ専の彼氏が次から次へと現れるため18才から29才まで彼氏が途絶えることはなかった」
と彼女の高校時代からの友人・溝口容子は言っている。池永は彼女がこまめにつけていた「セックス日記」を読み彼女と性交渉のあった「デブ専」たちに会って話を聞いた。しかし「デブ専」ではない池永は彼らの話がほとんど理解できなかった。容疑者が3人に絞られたかと思えば8人に増え、うんざりした気分に追い打ちをかけるように22人に増えた。池永は熱くなった頭を冷やそうと蛇口をひねって頭を突っ込んだ。すると水とともに容疑者がひとりふたりと流れていくのが分かった。最後まで流れないのが犯人だと思い頭を突っ込んだままにしておくと思惑通り5人にまで絞られた。その時
「何やってんすか先輩?」
と矢吹の邪魔が入り、ボトッと5人の容疑者が同時に落ちてしまった。
「ああクソ!」
と池永は叫んで落ちた5人を取り戻そうとしたが無情にも5人の容疑者は排水口に吸い取られてしまった。
「馬鹿野郎!」
と池永は叫び矢吹の胸倉をつかんだ。しかし次の瞬間池永は地面に押さえつけられていた。矢吹は柔道の有段者で希望者に護身術を教える先生でもあったのだ。トイレから出てきた直美は池永が矢吹に押さえつけられている光景を目にし
「どうかしたんですか?」
と聞いた。

事件は当初簡単に解決すると思われた。しかし池永を伴って迷宮入りした。
「まるで EXTERMINATOR!を読んでるみたいだ」
が池永の口ぐせだった。池永は邦訳された「おぼえていないときもある」でEXTERMINATOR!を読んだのだが「おぼえていないときもある」を読んでるみたいだ、とは言わなかった。自分が原文で読んだように見せたいわけではなく、もっぱらリズムの良し悪しの問題だった。だいたい池永がそう言う時はベロンベロンに酔っ払っている時で翌朝直美が
「昨日エクスターミネーターを読んでるみたいだって言っていたけど何のこと?」
と聞いても
「おぼえていない」
と言うだけでそれがウィリアム・バロウズの小説で1997年に「おぼえていないときもある」として邦訳がペヨトル工房から出版されていることを知ったのはずっと後になってからだった。普通の本屋には置いてなかったため注文して直美は目を通した。なるほど、と直美は思った。読後の征服感がまったくなかった。「デブ女」殺害事件に則して考えると頑張っても少ししか手に入らないもどかしさのようなものが確かにEXTERMINATOR!を読んでるみたいだ、と言えるかも知れないと思った。突如直美は池永が発狂するのではないかと思った。直美はEXTERMINATOR!を読み返す気などおきなかったが池永は何度も読み返し答えを見つけ出そうとしているようなものなのだった。池永は少し頭を冷やしたほうがいいと直美は思った。ちょうど池永が小便プレイを望んだので直美はラブホテルのベットに仰向けになった池永の顔に小便をかけた。直美は小便をかけられ目をつむり口を半開きにした池永の幸せそうな顔を見ているとこのまま小便が止まらなければいいと思った。池永も同じことを思ったが小便は止まった。ふたりはとても悲しい気持ちになってベットで抱き合ったが仕方なかった。

ある時池永が顔を洗っていると蛇口から容疑者がボトボトと落ちてきた。驚いた池永だったが素早く排水口に栓をした。あまりにたくさんの容疑者が次から次へと出てくるため水を少しづつ容疑者を逃がさないように捨てる必要があった。そのうち容疑者であふれ返るくらいにまでなった。池永は走って掃除用具の置いてある部屋まで行った。そしてバケツをつかむと走って戻った。矢吹はバケツを持って走ってくる池永の姿を見つけた。矢吹は
「誰だよ」
とつぶやいて蛇口をしめたところだった。池永は洗面台の前に立っている矢吹を見つけると
「おい! さわるな!」
と走りながら叫んだ。
「あ、これ池永さんの仕業でしたか」
と矢吹はバツの悪そうな笑みを見せ水を出そうと蛇口に手を伸ばした。
「馬鹿野郎さわるな!」
と池永は叫び走ってくる勢いのまま矢吹にタックルした。池永は大学時代ラグビー部に所属していなかった! 一方の矢吹は柔道の有段者らしく素早くしっかりと「教科書通り」と顧問の故・深沢重吉先生にほめられたことを今も忠実に守り通していますと故・深沢重吉先生への感謝の気持ちを表現するかのような完璧な受け身をとったが池永は地面に顔をぶつけバケツは手から離れ不愉快な音をたてながら転がった。トイレから出てきた直美は廊下で重なり合う二体のオブジェのようになった池永と矢吹を目にし
「どうかしたんですか?」
と聞いた。

テナントビル清掃員による女子トイレ盗撮事件と「デブ女」殺害事件には何の関係もないように思われた。しかし押収したビデオテープを見ながらオナニーをしていた池永はそこに「デブ女」そっくりの女を見つけた。彼女と性交渉のあった「デブ専」18人のお墨付きをもらい池永はその女が加藤朋美の生前最後の姿であることを撮影日時が5月9日午後4時18分であることから判断した。撮影場所は丸の内にある某テナントビルで彼女の勤務する会社のオフィスのあるビルとは違った。彼女はなぜこのビルのトイレで用を足したのか? 池永が捜査を進めるとさらに興味深いことに彼女の使用したトイレが某テナントビルの10階のトイレであることが判明した。1階のトイレなら部外者が立ち寄り用を足してさっさと退館することも考えられるが、10階となるとエレベータに乗り、あるいは階段でそこまであがらなければならない。つまり彼女は用を足すためにこの某テナントビルに入ったのではなかったのだ。彼女は用もないのに丸の内にある某テナントビルの10階にあがり用を足した、ということになる。いや違う、と池永はすぐさま自分の出した答えを否定した。「用」と「用を足す」の「用」を区別しなければならない。つまり彼女はこの某テナントビルに何かの用があり入館し用を足したのは何かの用のついでだった。池永は一挙に展望がひらけた気がし興奮した。しかし彼女がそのビルの10階に足を運んだのはそこにあるテナントが彼女の勤める会社の得意先だったからでありそれ以上の意味はなかった。捜査はまたも行きづまった。昼間っからボーッとしている日が多くなった。不意にある疑問が生じた。いい年になって未だにオナニーする自分はカッコイイだろうか?

リストラされた元サラリーマン・吉岡一夫はそのことを家族に言えず毎日行く当てもないのに出勤と称して家を出て川辺や鉄橋の下なんかで寂しく物思いにふけっていた。元サラリーマン・吉岡一夫は毎月消費者金融やヤミ金からサラリーマン時代の給料分を借金し自分の口座に振り込んでいた。家族にリストラされたことがバレ消費者金融やヤミ金から借金していることがバレるのは時間の問題だった。就職のアテも返済のアテもなく就職する気も返済する気もなかった。ある夜元サラリーマン・吉岡一夫は妻と二人の娘を絞殺し自分も死ぬことを思いついた。自分が首を吊って死ぬのは一番最後でなければならないと肝に銘じ、妻と二人の娘の絞殺順序はどうでもいいと元サラリーマン・吉岡一夫は考えたが、あやうく自分が最初に首を吊りかかり、気を取り直して下の娘、上の娘、妻の順で絞殺していった。池永はこの事件を聞きこんなことがあっていいのかと思い4つの死体が出た事件より自分が抱えるひとつの死体が出た事件の方が難解なのはなぜだろうと不思議に思った。池永はこう考えざるを得なかった。「デブ女」殺害事件には少なくとも4つ以上の死体が出ている。