デブ奇譚 3

(4900字)

「デブ女」殺害事件の被害者である朋美が沙織と間違えられたのは言うまでもない。「デブ専」のなかには突然姿をくらました沙織に憎しみを抱いている者がいた。何人もいたが沙織そっくりの朋美を見つけたのはそのうちのひとりだった。彼はそれが沙織ではないことが分からなかった。彼は朋美の後をつけ朋美の住むアパートを見つけた。そして自分を虜にしていた「デブ女」の本名が加藤朋美であることを知った。沙織は「ミカ」と名乗っていた。それが偽名であることは彼には分かっていた。彼はインターホンを押し「ミカ」を呼んだ。「ミカ」は訪問客の男を見たが男が誰なのか分からなかった。男は
「ミカ、俺のこと覚えてるか?」
と言った。ここでの「ミカ」は加藤朋美なわけだから覚えてるも覚えてないもなかった。男は財布から3万円を出し
「やらせてくれ」
と言った。「ミカ」は
「自分は「ミカ」ではないしあなたが誰だか分からないし体を売る気はないしアパートまでつけてきて「やらせてくれ」なんて言うのは非常識にもほどがあるし帰らないのなら警察に電話します」
と言った。アパートの一室の扉の前で押し問答する男と「デブ女」。扉は開いていたが「デブ女」でふさがっていた。男はもう我慢の限界だった。「ミカ」にそんなことを言われるなんて信じられなかったし「ミカ」を見つけた時から睾丸はフル稼働し男根は勃起しまくっていたし偶然にもATMでお金を下ろしたばかりだったため「ミカ」とやることばかり考えており断られるなんて予想だにしていなかったのだ。

「3分以内に帰らないなら警察に電話しますから」
と言って「ミカ」は扉を閉めようとした。男は「ミカ」に飛び込んだ。男は学生時代水泳部に所属していなかった!「ミカ」は後頭部を強打し意識を失った。男は意識を失った「ミカ」を犯した。「ミカ」が意識を回復し叫び声をあげないよう「ミカ」の口の中にティッシュペーパーを詰めた。男は恍惚となって「ミカ」を弄んだ。「ミカ」の肌に落書きをし包丁とボディソープを持ってくると「ミカ」の陰毛を剃ることに夢中になった。「ミカ」はゆっくりと意識を回復していった。そして「ミカ」は自分が何をされ現に今何をされているのかを理解し、怒りにかられた。「ミカ」がただひとつ、死を回避することだけを目的として行動していたのなら殺されることはなかったかも知れない。「ミカ」はぐっと上半身を起きあがらせると男の頭をぶったたいた。「ミカ」は叫び声をあげているつもりだったが声は出ていなかった。彼女は男に弄ばれ現に今も弄ばれていることは理解していたが口の中にティッシュペーパーを詰め込まれていることは理解していなかったのだ。頭をぶったたかれた男は起きあがると「ミカ」に覆いかぶさった。男はその時自分の両手が包丁を握りしめていることを思い出したが後の祭りだった。
「刺すつもりはなかった。許してくれ」
と「ミカ」に言った。「ミカ」は口の中にティッシュペーパーを詰められ腹を包丁で刺され29才の若さでこの世を去った。5月9日迷宮の日だった。

「ミカ」である沙織は行方不明だった。少なくとも「デブ女」殺害事件以降沙織は姿を見せていなかった。彼女がいつ失踪したのかは分からない。見つけようとしたが見つからなかった。それも当然だった。そもそも朋美には双子の姉などおらず沙織=「ミカ」は池永がつくり出したキャラクターだったからだ。それゆえ「デブ女」殺害事件以前にも沙織は一度として姿を見せたことはなかったのだ。池永はそれと気付かずデリバリーヘルスを徹底調査し朋美そっくりの女を捜したが見つかるはずもなかった。実は朋美そっくりの女とは朋美だった、と池永は結論した。朋美そっくりの女を捜しても一向に見つからないのはそれが朋美であり朋美は5月9日迷宮の日にすでに迷宮入りしていたからだ。「デブ女」殺害事件と捜査官の池永は捜査のある段階で迷宮入りしたのではなかった。事件発生と同時に迷宮入りしていた。はじめから迷宮入りする以外に迷宮入りする方法はないのだ。ただ迷宮入りしていることにいつ気付くか、ということがある。しかし迷宮入りしていることに気付いたとしても何の意味もない。「デブ女」殺害事件が迷宮入りしていると言えるのはただ解決されていないからにすぎないのだから。そう考えると池永は自分と「デブ女」殺害事件が迷宮入りしているのかしていないのか分からなくなった。そして池永は晴れやかにこう思った。「デブ女」殺害事件を解決させさえすれば「デブ女」殺害事件も自分もはじめから迷宮入りなどしていなかったことが証明されるわけだ。それは迷宮入りしたとされるこの事件の被害者である「デブ女」と捜査官の池永を同時に迷宮から救い出すことを意味した。もちろんはじめから迷宮入りなどしていなかったのなら「迷宮から救い出す」という言い方は間違いなのだが。そしてそれによって朋美が息を吹き返す、ということもないのだが。少なくとも朋美が息を吹き返すまでは朋美が息を吹き返す、ということもないのだが。

男子トイレの個室で小便水に浮いたうんこの上で毛むくじゃらの下半身を丸出しにした池永がそんなことを考えていると、矢吹が廊下を走りながら
「池永さーん、池永さーん」
と呼んでいる声が聴こえた。男子トイレから離れるいい機会だと思い池永は男子トイレを出た。
「あっ、池永さん」
と矢吹は池永を認知すると池永の前まで走ってきた。
「どうした?」
と聞くと
リオデジャネイロは今日も快晴だそうです」
と矢吹は言った。池永は矢吹が冗談を言ったのだと思ったが笑わなかった。矢吹は
「あの」
と言い咳払いをひとつし
「デブ女のセックス日記を再度徹底調査してみたのですが」
と切り出した。矢吹が言うには彼女と性交渉のあった「デブ専」は当初18人とされていたが実は19人だった、さらに彼女はもう一人別の人物とも性交渉をもっており、さらに彼女はまた別のもう一人の人物とも性交渉をもっていた。19人を18人と見誤ったのは同じ名前の「デブ専」が2人いたからであり、もう一人別の人物を見落としていたのは彼が「デブ専」ではなかったからであり、また別のもう一人の人物を見落としていたのはその人物が女性だったからだった。しかし「デブ女」の「セックス日記」を再度徹底調査したのも、それによって新事実を発見したのも池永であった。それは池永が部下の手柄を無理矢理横取りする下司な浅ましい上司だったからではなく池永にとって池永は「デブ女」殺害事件捜査班の別名でもあったからだった。つまり池永は池永だったのだ。しかしそんな新事実は何の意味ももたなかった。「デブ女」の「セックス日記」はすでに虚構だと判明していたからだ。しかし虚構が事実を上回っていたわけではなく逆に事実が虚構を上回っていた、と言ってもよいのではないかと池永は思うのだった。虚構が空にあるのなら事実は地にあった。われわれは本来地から空を見るが池永は空から地を見なければならなかった。つまり空飛ぶ飛行機である「セックス日記」に乗って地である事実を見るのだ。池永はそれが必要だと思った。

そもそも「セックス日記」は彼女の「マスネタ日記」だった。彼女自身の楽しみのためにマスをかいていたように彼女は彼女自身の楽しみのために「マスネタ日記」を書いていた。このふたつは分かち難く密接に結びついていた。彼女の愛用していたワープロのキーボードからと彼女の「マスネタ日記」が保存されたフロッピーディスクからは彼女の布団やシーツやパンティーから検出されたのと同じ「マン汁」が検出されたからだ。そして「マン汁」は彼女が愛読した百冊以上の少女漫画からもテレビとビデオのリモコンからもアイドル歌手のビデオテープからも社員旅行や飲み会や彼氏とのデートで撮られたおびただしい数の写真からも検出されたのだった。さながら彼女の部屋は「マン汁の館」であり甘い蜜の匂いに吸い寄せられるように蜂のような毒針を持った彼女の見知らぬ男が彼女の部屋に押し入ったとしてもおかしくはなかった。おかしくはなかったが彼女は毒針によって殺されたのではなかった!しかし毒針が比喩ならば、彼女は毒針によって殺された、と言ってもよかった。彼女は毒針のようなナイフによって殺されたからだ。しかしやはり毒針とナイフは違う、と池永は思うのだった。ナイフを体の一部のようにしている者のナイフは毒針のようだし、毒針もナイフも刺す機能を備えているが、やはり違う!しかし比喩などどうだっていい、と池永は思った。そんなのは鼻くそだ!いや、鼻くそなんかではない、と池永はすぐさま否定した。比喩は比喩だ。

「セックス日記」は虚構でありしかも彼女の実生活をネタにした虚構であるがゆえにそれはより危険であり捜査の妨げになると脇にどけようとする池永もいたが池永は違った。池永は「セックス日記」に乗ったのだった。しかし何も出てこなかった、と言ってもよかった。そこから取り出されたものは彼女の人間関係の虚構化されたほんの一部分でしかなかった。日記の中の登場人物は彼女を含めたったの22人だった。モデルとなったのは仕事関係の男6人、元カレ3人、少女漫画の美少年4人、友達の彼氏、JR名古屋駅の駅員、若いバスの運転手、便利屋さん、芸能人3人、溝口容子、だった。それはあくまでモデルであり少女漫画の美少年は新入社員として彼女の勤める会社に入ってくるし、元カレは彼女をナンパしホテルに連れ込み、彼女が逆ナンする「危険な男」は若いバスの運転手であり、「カッコイイストーカー」に扮するのはJR名古屋駅の駅員であり、仕事関係の男と彼女はカラオケボックスでの偶然の出会いから関係を深め、溝口容子の彼氏と寝た彼女は溝口容子にレズプレイを強要される、彼女の引っ越しの手伝いをした便利屋さんは便利屋さんとして登場し彼女の下の処理をする、そんな具合だった。

虚構から事実を見つけ出すのは至難の技だったが忘れてはならないのは池永が「粘着テープ」と呼ばれるほど粘り強い男だということである。池永は彼女の「マン汁」のついた少女漫画を読みあさったし、タレント名鑑を隅々までチェックしたし、便利屋にしらみつぶしに電話をかけたし、彼女の携帯電話のメモリーから仕事のスケジュール帳まで調べ、彼女の友人たちに話を聞いて回り、少女漫画愛好会の飲み会にも参加した。それによって22人いる登場人物のモデルの大半の正体は判明したが、最後にふたり「危険な男」と「カッコイイストーカー」が残った。ここまで調べた池永はそのふたりにだけモデルがいないとは考えられなかった。池永は朋美の行動範囲を徹底的に洗った。「首に赤いアザ」があり「眉毛が太く喉仏が突き出」した「25才前後と思われる男」が「危険な男」であり「目の下にホクロ」があり「スラッとした長身」の「異様なほど黒い目」を持った「25才前後と思われる男」が「カッコイイストーカー」だった。池永はそれがJR名古屋駅の駅員と若いバスの運転手だということをつきとめた。JR名古屋駅の駅員は彼女の写真を見せると
「見たことがあるようなないような」
と言い若いバスの運転手は
「知ってるような知らないような」
と言った。池永は虚構の人物と夢の中で話しているような気がした、とその時のことを直美に話した。直美は池永がどうしようもなく発狂していることを知っていた。直美は発狂した池永をただ指をくわえて見ているわけにはいかなかった。もちろん池永に対しては何をやっても無駄だと分かっていたが池永が「迷宮入り」しているのは「デブ女」殺害事件が解決されていないからで解決されさえすれば池永を救い出せると直美は思った。しかし「デブ女」殺害事件が解決されても池永は発狂したままだった。池永には何もかも理解不能だったのだ。10月8日X∞の日池永は自殺した。何もかも理解不能だった池永が自殺などできただろうか(他殺ではないか?)とささやかれたが形としては自殺だった。