われらの時代

なぜか生き残ってしまう。

土井やつひの死 2

(3700字)

事件発生の三日目か四日目の11月14日、我々は手がかりを求めて土井やつひの根城を予告なしに襲いました。誰に予告したらいいのか判らなかったため、結果的にそうなったのです。
そこは適度にボロい二階建のアパートでした。いきなりの訪問にも嫌な顔ひとつせず出迎えてくれたのは、大学ラグビーラガーマンのような、いかついいがぐり頭のでかい男でした。しかしでかいのは体や頭だけで、態度はそうではありませんでした。
「驚いたでしょう?」と尋ねると、「いえ、そのうち来ると思っていましたよ」という答えが返ってきました。見かけによらずなかなか頭の切れる男なのかも知れない、と我々に緊張が走りました。この男、権田武蔵は土井やつひを「やっひー」とも「紀隆くん」とも呼ばず「あいつ」と呼んでいました。玄関をあがると、三畳ほどの台所があり、扉がふたつ、目に入りました。
我々の好奇の眼差しに気付いた権田武蔵は「あっちが私の部屋で、こっちがあいつの部屋です」と扉を指差して、丁寧に教えてくれました。我々は菓子折りひとつ持たず手ぶらで訪ねてしまったことが急に恥ずかしくなりました。居心地の悪さにもぞもぞしていると、我々の異変に気付いた権田武蔵は「トイレならそっちです」と別の、我々の死角にあった扉を指差しました。我々はおしっこがしたかったわけではなかったものの、断るわけにもいかず、順番にひとりひとり用を足し、最後のひとりが出てきて「ああ、スッキリした」と感想を述べると、さっそく捜査を開始しました。我々は手始めに「あなたと土井やつひの関係は?」と尋ねました。
「私はあいつの同居人です」と権田武蔵は素直に答えてくれました。「あいつとは地元が一緒で、小中と同じ学校に通っていたんです」権田武蔵は我々の次なる質問を待たず、勝手にしゃべりだしました。「高校で別々になって、その後、あいつは大学に進学してこっちに来て、私はそのままあっちで就職しました。今年の五月、地元で中学の同窓会がありまして、そこであいつと再会したんです。同窓会はこれまでにも何度かあったのですが、私が出席した時はあいつが欠席してたり、あいつが出席した時は私が欠席してたり、あいつと私、両方が欠席してたりで、再会したのは実に久しぶりでしたね。中学の卒業式以来かというと、そうでもなくて、高校は別々でしたけど地元は一緒ですから、地元のイベントなんかで顔を合わすことはあったんですよ」
我々は権田武蔵の見切り発車に苦笑いしつつも寛容に耳を傾けていました。この仕事をしている以上、「他人の話を聞く刑」に処せられているようなものなのだ、と我々はすでに観念していたのです。
「再会した時、私は無職だったんですよ」と権田武蔵は話を続けました。「勤めていた会社が倒産しましてね。あいつにその話をしたら、これからどうするつもりなんだ、なんて聞かれまして、地元を出ようと思っていると言ったら、それなら家に来いよ、なんてあいつが言うんですよ。部屋がひとつ余っているから、そこを使えって。まあ、その場のノリかと思っていたんですけど、数日後に電話がありまして、こっちにいつ来るんだって言うんですよ。あいつが本気だと分かって、わたしはここに引っ越してきたんです」
引っ越し完了、と我々は権田武蔵に気付かれないように、こっそりため息をつきました。そして、まだ先は長いぞ、と自らを戒め、気を引き締めました。
「あいつが土井やつひと名乗るようになったのは、こっちに来てアーティスト連中とつるむようになってからです。地元ではノリとかノッチとか呼ばれてまして、誰もやっひーなんて呼びませんよ。あいつは同窓会で、アーティスト・土井やつひ、なんてプリントされた名刺を配り歩いて、やっひーと呼んでくれなんて息巻いていましたけど、どう対処したらいいのか判らずに、みんな困惑していましたね。確かにアーティストっぽい奇抜なルックスをしていましたし、ちょっと浮いていましたから、あいつアレやってるんじゃないの、なんて言うやつもいましたよ。もちろんアレというのはアレのことですよ。どうぞ、皆さん、あいつの部屋をお調べ下さい。手がかりを捜しに来られたんでしょ?」
あと一時間でも二時間でも話を聞く体勢であった我々は、権田武蔵の突然の提案にびっくりし、腰を抜かしそうになりました。それでも喜び勇んで、台所から土井やつひの部屋に移動しました。権田武蔵は「どうぞ、ごゆっくり」と言って自分の部屋に引き下がりました。

土井やつひの部屋に放っておかれた我々が、寂しさを感じなかったと言えば嘘になりますが、弱音を吐いている場合ではありません。我々は部屋を見渡しました。そこは残念ながら「何の変哲もない部屋」ではありませんでした。部屋の中央に、見て見ぬふりが出来ないくらい、無視するにはあまりに大きすぎる物体が、横たわっていたのです。我々は「見なかったこと」に出来ないか、しばらく各自で考えました。その物体は我々の理解を越えており、我々は「出来ることなら関わりたくない」と思ったのです。しばし悪あがきをした後、我々はその物体に向き合いました。
第一印象の通り、それは棺桶のようでした。といっても、安っぽいベニア板で作られた安っぽい棺桶で、こんな安っぽい棺桶では、死者を横たえ、持ち上げた途端に底が抜けてしまうだろうと思われるような代物でした。
我々が途方にくれ、首や手首などの関節を各自でひねっていると、室内に「ピンポーン」とインターホンの音が鳴り響きました。
「はーい」と返事をして台所に出ていくと、訪問者は鍵のかかっていない玄関扉を、自ら開けて、中を覗き込みました。中肉中背の、上品なご婦人でした。
「やっぱり」とご婦人は独り合点すると、こちらが何か言う前に自己紹介をはじめました。「私はこのアパートの大家の三上信子です。このアパートと目と鼻の先の一軒家に住んでおります。先ほど、犬の散歩に出かけましたら、皆様がぞろぞろとアパートの階段をのぼっていくのが見えまして、もしやと思った次第でございます。それで、犬の散歩を終えて、こうやって参ったというわけです。あの子のことでしょう、もちろん」
もちろん三上信子の言う「あの子」というのは土井やつひのことでした。またおしゃべりがはじまるぞ、と我々は腕組みをして覚悟を決めました。予想通り、三上信子はおしゃべりをはじめました。
「私にはあの子と同い年の息子がおりまして、うちの子が大学進学で東京に行ったのと入れ替わるようにして、あの子がここに入居してきたんです。主人は息子がまだ物心がつく前に他界しておりまして、私は息子とそれこそ二人三脚で生きてきたようなものだったものですから、その息子が東京に行ってしまって、寂しくなるななんて思っていたんですよ。でもあの子のおかげで、私は寂しさなんてこれっぽっちも感じずに過ごして来られたんです。うちの子は真面目といいますか、しっかり者といいますか、そういう子なんですけれど、あの子にはどこか破天荒なところがありましてね」
三上信子のご婦人らしい落ち着いたトーンのおしゃべりは、我々の眠気を誘発しました。我々は組んだ腕に力を込め、アクビを噛み殺して、彼女の話に耳を傾けていました。心の中では、どいつもこいつも、と悪態をついていたことは言うまでもありません。
「あの子の破天荒さというのは、ちょっと説明が難しいんですけれど、自分と他人の境界線があいまいなところだと思うんです。あの子が越して来た日に、私はあの子にバケツを貸したんですけれど、夕方、バケツを返しに来た時、話をしたんです。なぜかそのままあの子は家で夕食を食べていったんですよ。なぜそうなったのかよく判らないんですけれど、その日からあの子は私の息子のようになりまして、あの日以来私は狐につままれたような感じがずっとしているんです」
三上信子はその後も、事件に何の関係もなさそうな話を続けるのでした。そして、これ以上おしゃべりを続けるようであれば、何か手を打たなければならないぞ、と我々が思案しはじめた頃、彼女はいきなり我々の興味を引く話をはじめました。
「あの子の部屋で、棺桶を見つけられたのではありませんか?それについて、私からちゃんとご説明したほうがよろしいかと思いまして、こうして参ったというわけなんです。あれは、実は棺桶ではないんです。あれは、寝相矯正ボックスといいまして、あの子のアート作品なんですよ。でもあの子は、あれはまだ未完成なんだと言っておりまして、あれはまだ作品の半分なんだそうです。もう半分は何かといいますと、取扱説明書だそうで、そっちはどうも苦戦しているようでした。家にある電化製品の取扱説明書なんかを熱心に読んで研究していましてね」
そこまで言うと彼女は急に腕時計に目をやり「あ、いけない。もうこんな時間。観たいテレビ番組がありますので、ここで失礼致します」と言ってそそくさと出ていきました。