われらの時代

なぜか生き残ってしまう。

サナトリウムと精神病院

(5600字)

丘の上に双子の建造物があります。麓から見上げると、その上方の一部分がわずかに見えるだけです。丘の全体に生い茂るマツや、ヤブツバキ、モチノキなどの植物群が、視界の大部分を覆ってしまうからです。丘を登り下りする道はいくつもありますが、車が通れる道は一本だけです。黄色いナンバーの軽自動車や、黒塗りのセダン、タクシー、ワンボックスカーなどが登っていき、しばらくすると下りてきます。誰かを乗せていき、誰かを下ろしてきたのでしょうか。あるいはそれは業者で、なんらかの品物を納入してきたのでしょうか。車が走り去り、エンジンの音やタイヤが砂を踏む音がきこえなくなると、あたりは先程よりもいっそう静かになったような気がしてきます。

上方の一部分がわずかに見えているだけとはいえ、麓から見上げるだけでも、双子の建造物の違いは見てとれます。西棟は白く、東棟は黒ずんでいます。白い西棟がサナトリウム、黒ずんだ東棟が精神病院です。サナトリウムには、女性しか入所できません。そして、精神病院に収容されているのは、男性のみです。そういう仕組み、決まりなのです。この丘の上の双子の建造物は、もともとは小学校でした。大きな津波がきたとき、この小学校に避難した人たちは助かりました。津波にのまれた町は廃れ、小学校は廃校となりました。そのあと、心霊スポットとなり、それからずっと何年もたって、サナトリウムと精神病院に生まれ変わったのです。

サナトリウムに入所している人たちのなかに、地元の人は一人もいません。みんな、遠方からやってきた人たちです。かってしったる場所から遠く離れることに意味、安心があるのでしょう。かつては肌身離さず持ち歩いていた、物理的な距離を度外視して人と人とを繋ぐ電子機器は、この安心を脅やかすものでしかないため、彼女たちは遅くとも入所するまでには、自らの意思で、それらの所持、あるいは使用を放棄しています。談話室や共同寝室の窓から見える光景、自分の記憶と結びついたものがない景色、廃れた町や、丈高く生い茂るセイタカアワダチソウ、その向こうに広がる海原。見つめていると、頭も心も空っぽになります。この空っぽの状態が彼女たちにとってはなにより心地よく、大切だと思えるのです。

しかしそれは、サナトリウムの女性たちに限った話で、遠方からやってきたという共通点はあるにしろ、精神病院の男性たちは、そうではありません。彼らには電子機器はもちろんのこと、なにかを所持することは許されていませんし、壁が黒ずんでいることからもわかるように、精神病院の方は管理が行き届いておらず、鉄格子が嵌められた窓は、白っぽい埃で汚れ、中からはろくに外は見えないでしょうし、たとえなにかが見えたとしても、それは海ではありえません。サナトリウムに遮られて、精神病院から海は見えないのです。かつての小学校時代は、この三階建ての双子の建造物の二階部分に、両棟を繋ぐ渡り廊下がありました。しかしいまは取り壊されています。さらに、精神病院は、高い鉄条網と有刺鉄線に周囲をぐるりと取り囲まれており、両棟を行き来することはできなくなっているのです。

サナトリウムの談話室や共同寝室からは海が見えますが、ひとたび廊下に出ると目に入るのは、この黒ずんで古びた怖ろしげなコンクリート、錆びた鉄格子、白く汚れた窓、風雨にさらされ色あせた鉄条網、トゲトゲの有刺鉄線です。女性たちはどことなく厳粛に、それらを見つめます。笑うことはありません。目が汚れると文句を言うこともありません。彼女たちはなにを思って見つめているのでしょうか。苦しみにあえぐ男性たちが、無事に恢復することを願い、祈っているのでしょうか。どうやら、そうではなさそうです。

サナトリウムの女性たちに、仕事というものがあるとすれば、それは生活空間を清潔に保つために、毎日午前中に実施される掃除、洗濯くらいです。白いタイル張りの共同寝室、白いシーツ、白い陶器の便器、浴槽、鏡、長いリノリウムの廊下、ステンレスのシンク、どこもかしこもきれいすぎるくらいきれいです。それこそピカピカのツルツルなのですが、それでも毎日きれいにしています。一日二日休むことなど、だれも考えもしません。彼女たちにとって汚れは、徹底的に排除すべきもののようなのです。

精神病院からは頻繁に、昼夜を問わず、男性患者たちの苦悶の叫び声が洩れきこえてきます。サナトリウムと精神病院は隣接していますから、それゆえ洩れきこえてくるというわけでは、実はありません。津波の後、町の人口は急激に減りましたが、まったくの無人になったわけではありません。そのため、患者たちの叫びを、外部に垂れ流すわけにはいかず、音漏れ対策として、病院内は防音加工が施されているのです。それではなぜ、サナトリウムにいながら、患者たちの叫び声がきこえてくるのでしょうか。それはサナトリウムの廊下側、東の壁にいくつものスピーカーが、巧妙に埋め込まれているためです。病院内に設置されたマイクが拾った音声が、これらのスピーカーから流れるようになっているのです。就寝時は音量が下げられますし、雨音がうるさい日は音量が上げられたりします。女性たちは黙々と、敬虔な様子で、雑巾を絞ったり、シーツをまとめて洗濯乾燥機に押し込んだり、洗剤を吹きかけたりしながらも、耳はスピーカーから洩れきこえてくる音を拾っているのです。音から、なにが行われているのか知ろうとしています。果たして自分が提案した治療法は採用されたのだろうかと。

スピーカーが埋め込まれているのは、談話室と共同寝室のある二階と三階だけです。一階は業者の人たちの出入りがありますし、一階にある調理室ではコックさんをはじめとした調理スタッフが立ち働いていますし、同じく一階にある事務所には事務員がいます。いわば一階は町の一部、下界なのです。その人たちにきかれてはいけないと、女性たちは認識しています。しかしそれは、なにか罪の意識というようなものと結びついているわけではありません。彼女たちは、悪いことをしているとはまったく思っていないのです。ただ自分たちが悪いことだとは思っていなくても、自分たち以外の人たちがどう思うかは、また別の問題として存在することを理解しているのです。面倒なことになったり、注目されたりしたくない、なにものにも干渉されたくない、蹂躙されたくない。そのための措置なのです。

彼女たちには、二つの方向があります。精神病院の方向と、海の方向です。海を見ていると、心が洗われます。癒されます。きれいになります。するとアイデアが浮かびます。それを紙に書きとめると、スミレ先生に渡します。スミレ先生は、ほっそりとした背の高い男性で、色白で透き通るような肌をしています。スミレ先生はある意味、目が見えません。スミレ先生に見えるのは、黄色い帽子をかぶった女性だけです。スミレ先生は土日祝日はお休みしていますが、普段は廊下を行ったり来たりしていて、黄色い帽子をかぶった女性にだけ声をかけます。黄色い帽子は子供の印です。黄色い帽子をかぶっていると、スミレ先生に少女として扱ってもらえます。スミレ先生はとても優しくて、みんなの人気者です。紙を渡すと、精神病院に届けてくれます。スミレ先生はサナトリウムの二階と三階に出入りする唯一の男性で、東棟への架け橋ともなっているのです。スミレ先生は男性ですが、おちんちんがないといわれています。本当かどうかはわかりません。ですが女性たちは、そう信じているからこそ、スミレ先生を信頼しているのではないでしょうか。

もともとスミレ先生は、精神病院の患者だったといいます。精神病院はサナトリウムとは対称的に、不潔極まりない劣悪な環境です。掃除などろくにされず、洗濯や入浴などもおろそかにされています。トイレはよく詰まり、糞尿が溢れ返ることは日常茶飯事です。すぐに修理されることはまずなく、しばらくそのまま放置され、ひどい悪臭を放つにまかされます。手洗い、うがいなどが奨励されることはなく、黒ずんだ汚い使い古しの割り箸で粗末な食事を口に運び、お腹を壊してひどい下痢糞を飛び散らせます。トイレットペーパーはなく、新聞紙やチラシで拭きます。こんな環境ですから、せっかく女性たちが知恵を絞って考案した治療法も、まったく効果を発揮してくれません。背中をムチで打たれたり、水風呂で半身浴をさせられたり、そういった治療はむしろ、患者たちを苦しめるばかりのようなのです。女性たちの期待はいつも裏切られます。

薄暗いじめじめしたナメクジの背中のような廊下の隅に、毎朝、パンのかけらや肉片が施工者によってさりげなく投棄されます。それらはネズミたちの餌です。精神病院内ではネズミが駆除されるどころか、積極的に育てられているのです。スミレ先生が患者だったある日のこと、スミレ先生は全裸にされ、ベットに両手両足を縛りつけられました。それはある女性が考案した治療法を実施するためでした。裸でベットに縛りつけられたまま、ロウソクのロウを地肌に垂らされることで、患者は正気に戻るとその女性は考えたのです。治療にあたる黒いマスクをかぶった施工者は、レシピ通りの施術を履行しました。そこまではよかったのですが、施術後、縛めを解くのを忘れてしまいました。スミレ先生にとっては怖ろしい一夜でした。スミレ先生はネズミにおちんちんを齧られてしまったのです。しかし怪我の功名とでもいうのでしょうか。スミレ先生は齧られて正気に戻り、精神病院からの初の恢復者となったのです。そして、サナトリウムで働くこととなりました。

患者たちは、己の病いに苦しみ、不潔極まりない劣悪な生活環境に苦しみ、慢性的な下痢に苦しみ、過酷なだけで不毛な治療に苦しんでいます。しかしそれだけではまだ足りないとでもいうのでしょうか。患者たちの苦しみにさらなる拍車をかけるものがあります。幽霊です。精神病院内には、頻繁に幽霊が出るのです。このもと小学校が、過去の一時期、心霊スポットとして栄えたのはそれゆえであり、そしてその後訪れる者が途絶えたのも、それゆえでした。本当に出るため、シャレにならないと、だれもが敬遠するようになったのです。ここがサナトリウムと精神病院として生まれ変わるとき、サナトリウムの方は除霊しましまが、精神病院の方はあえて除霊しませんでした。そのためいまでも出ます。施工者が休息している夜中の叫び声は、患者たちが幽霊に脅かされているなによりの証拠です。とてつもない恐怖に、患者たちは眠ることもままならないのです。

眠れない患者たちのなかに、社会派ブロガーの田村がいます。田村はこの施設の犯罪性、その可能性を嗅ぎつけ、その高く鋭い鷲鼻をくんくんさせすぎたために、例外的にこの施設に収容される羽目に陥ったのです。田村以外の男たちは、引きこもり、ドメスティック・バイオレンス、性犯罪などで家族のお荷物となっていたところを拉致されてきた人たちです。家族は、表面上は戸惑ったり躊躇したり良心の呵責に苛まれたりする素振りを見せて、対面した救世主に自分がまともな倫理観の持ち主であることをアピールしようとします。しかし虚しい努力を続けることは難しいと見えて、最終的には引き渡しに同意、協力するのでした。家族は、お荷物がどこに連れ去られたのか、お荷物がいまどのような扱いを受けているのか、救世主は実のところ何者だったのか、知りません。知りたくもないし、考えたくもない。長年の苦労からやっと解放されたのだから。

廃人同然になった田村は、汚れて湿った段ボールに半裸で横向きに身体を丸めながら、闇を見つめ、待合室のことをぼんやりと考えていました。昼間に彼は、丘の麓にある待合室に十五分間閉じこめられるという治療を受けたのです。待合室は極寒でした。巨大な冷凍庫でした。そこには凍った男たちが収納されていました。一番目立つ場所で見知った男が凍った状態で田村を出迎えました。それは田村に情報をリークした、拉致を担う精鋭部隊の男でした。いつか自分もここで凍ることになるのだろう。田村はそう思いながらも、なぜここは精神病院のなかではなく麓にあるのか、なぜ待合室などと呼ばれているのだろうかと、社会派ブロガーらしい疑問を抱いたりしました。闇を見つめながらぼんやりと考えていると、なんとなく答えがわかったような気がしてきました。あそこはきっと次の津波がくるのを待つ場所なのだ。

精神病院の患者はいざ知らず、サナトリウムは入所者にとっての終の住処ではありません。やはりここは休息所なのです。羽を休める場所、傷を癒す場所です。ゆっくり休んだら、女性たちはここを出ていきます。そのころには女性たちは、いろいろなことがわかっています。なんとなくですが、わかっているのです。スミレ先生にはたぶんちゃんとおちんちんがついているであろうこと。精神病院にはたぶん患者など一人もいないであろうこと。よって施工者もおらず、いるのはエンジニアで、サナトリウムの一階のどこかの部屋に陣取り、どこからか拾ってきた音声を流しているのであろうこと。様々な情報に接するが、そのどの情報ももとをたどればマダムに至るであろうことなどです。マダムはサナトリウムの生き字引のような存在で、多くを語らず、いつもにこやかにしています。談話室の安楽椅子が、彼女の指定席です。いつもそこから海を眺めています。最後の一文は、あるいは必要ないかもしれません。ですが、あえて書かせてください。サナトリウムを出ていくとき、女性たちの心は決まって青い空のように澄み渡っています。