日常生活のアポリア

「どこからが浮気か?」というアポリア(難問)がある。これにはまだ明確な答えが出ていない。だから何度でも議論される。それでは「鼻毛が出ている人を見かけたら教えてあげるべきか?」というアポリア(難問)についてはどうだろう。これにもまだ明確な答えは出ていないように思う。私は後者について、考えてみたい。

まずこのような設問が成立する条件として、鼻毛が出ている相手は赤の他人ではいけないし、また腹を割って話せる間柄の人であってもいけない。なぜなら前者の場合は、教えてあげる必要はないし、後者の場合は、教えようが教えまいがどちらでもいいのであり、そのような相手の鼻毛の飛び出しに対して、人はアポリア(難問)に直面することはないからである。人がアポリア(難問)に直面するのは、赤の他人ではないし、かといって腹を割って話せる間柄というわけでもない人の鼻毛の飛び出しに直面した時である。

アポリア(難問)を前に人は苦悩する。教えるにしろ見て見ぬふりをするにしろ、どちらにもそれなりのリスクがあるからである。両者を天秤にかけてみても明確な答えは出ない。シーソーのように右が上がったと思えば左が上がり、左が上がったと思えば右が上がる。しかもそれはどんぐりの背比べであり、ある意味勝ちのないギャンブルであり、どちらが互いの関係にとって傷が浅いかを測っているようなものだ。

私はここに、新たな視点を導入したい。それは鼻毛の自由という視点である。鼻毛が出ている出ていないはそもそも当人の自由なのではないか。そう考えると、鼻毛が出ている人に対して鼻毛が出ていると教えてあげること、それは一見親切に見えるが、実は鼻毛を抜くなり切るなりしろと命令していることと同義であり、それはすなわちその人の自由に対する重大な侵害であるとは言えないか。

この新たな視点の導入によって「鼻毛が出ている人を見かけたら教えてあげるべきか?」というアポリア(難問)に「教えることは、その人の自由に対する重大な侵害になるので、教えるべきではない」という、それなりの答えを与えることができるのではないか。しかしこれがベストだとは思えない。大多数の人にとって鼻毛が出ていることは不本意なことであり、あえて鼻毛を出している人はほとんどいないはずだからである。

とは言え、その人が鼻毛を出す自由を行使しているのか、それともその人のあずかり知らぬところで不本意ながら鼻毛が飛び出しているのか、こちらで判断することはできない。そう考えると、ベストな答えは「教えてあげるのではなく、当人に判断させるように仕向ける」ということになるのではないだろうか。言い方は色々とあるだろうが、私としては鏡を見て自分の顔をチェックするように促すのが良い気がする。