35 木村被告の手記

こんな動機で人を殺そうとした人って過去にいるんですかね?
一般的な言い方をすれば「逆恨み」ということになるんだろうけど。
「週刊報道」の木村被告の手記、読みましたか?
なんでも木村被告の母親は「懸賞おたく」だったらしいですね。
木村被告によるとかなりの「実力者」でけっこうな確率で当選してたみたいです。
「これ絶対に当てるよ」と宣言してDVDプレイヤーを宣言通り当てたこともあったとか。
木村被告は母子家庭で子供の頃は貧乏で生活が苦しく「懸賞」が母親の副業みたいなものだったそうです。
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも「懸賞」で当てた商品だったとか。
そんな母親を木村被告は心の中では「卑しい」と思っていたそうです。
「懸賞」が木村被告に劣等感を植え付け、木村被告をとても暗い少女にしていました。
そして中学二年の冬に「ボスジャン事件」が起きます。
夕方6時頃、母親にコンビニで納豆を買ってきてと頼まれた木村被告は、母親が「懸賞」で当てたジャンバーを着て出かけたのですが、すぐ近くのコンビニでは納豆は売り切れで、少し先のコンビニまで足を運びました。
次の日、学校に行った木村被告は自分が教室内で噂されていることに気付いて驚かされます。
前夜「BOSS」と大きくロゴの入ったジャンバーを着ていたところを誰かに見られていたらしく、そのことが噂になり、面と向って「ボスジャン着てたらしいじゃん」とからかわれたりしたのです。
木村被告は手記に「ただそれだけで、イジメにあったというわけではありませんでした。」と記しています。「それでも、私の中でやっぱりと思うところがあったのです。やっぱり懸賞って恥ずかしいことなんだって。でも母にやめてとは言えませんでした。」
しばらくすると木村被告の母親は原因不明のスランプに陥ってしまいます。
「懸賞」がまったく当たらない日々が続いたのです。
「懸賞」に当たることで精神のバランスを保っていた木村被告の母親にとって「懸賞」に当たらない日々は耐え難いものでした。
「あの頃の母は気が狂っているかのようでした。」と木村被告は手記に記しています。「私にとっても精神的に不安定な母と暮らすのは辛いことでした。母は私に教えてくれませんでしたし、私はまったく想像すらしていなかったのですが、懸賞に当たらなくなったのは、母の運が尽きたのが原因でした。母が私の名前を使いだしたのはこの頃からです。つまり、母は私に何の断りもなしに、勝手に私の運を使いはじめたのです。母はスランプを脱しました。また当選する日々がはじまりました。しかしそれは私の運が減っていく日々でもあったのです。」
木村被告の母親が「二度目のスランプ」に陥った頃、木村被告はすでに高校を卒業し地元の中小企業に就職していました。
「母は二度目のスランプに陥りましたが、前回のスランプとは違いあっさりしたものでした。」と木村被告は手記に記しています。「懸賞から足を洗ったのです。私が働き出したことでもう懸賞に頼る必要はないと母は説明し、私は素直に母の言うことを信じていました。」
しかしそれ以降、木村被告の生活は「良いことがまったくない」ものになってしまいました。
仕事がつまらなければ私生活も充実しない。もともと「素晴らしい人生」を送っていたわけではないけど、それにしてもひどすぎる。なぜなのか、と木村被告はずっと考え続けていました。
「そして私がああそうか、そういうことかと原因を突き止めたのは今から一年くらい前です。」と木村被告は手記に記しています。「この五年間まったく良いことがないのは母が私の運を使い果たしたからなんだと気付いたのです。ようやく、です。きっかけも何もなくて天啓といった感じで。私は母とケンカしました。はじめて、といっていいくらいの大ゲンカです。母は認めませんでしたが、私はずっと根にもっていて、不運があるたびに母を恨みました。そしてのほほんと歌番組を見ている母を見て、私は決意したのです。殺してやる、と。」
結局未遂に終わったわけですが、悲劇ですね。